今日の格言

「勉強していたり本を読んでいて,知らない・理解できないことがあっても,
窮屈感,屈辱感,挫折感等を感じる必要はない。
重要なのは,『解らない』ということ理解し受け入れて,先へ進むべし」



いや最近よく思うんですよ,こういうこと。
今までのワタシは,勉強などをしていて,そのときに理解できる,
もしくは知っていることに主眼を置いていたような気がします。
なので,理解できないこと・知らないことに出会うと,
頭がキュッとしちゃってたんですね。
まぁ,いつもそうだとはいわないですけど,
こういうことが頻繁にあったわけです。
もちろん,今でもありますが。


で,それは本質的ではないなと。
そもそも勉強は,知らないこと・理解できないことを探して,
確認していくことなのだから。
なのでそういうことに出会っても,リラックスしてればいいんです。
びびる必要なんてないんです。
脳的にも,そうした状態の方が,理解力・記憶力が高まる,いや,
低下しないでしょう。


他の人には当たり前のことかもしれませんが,
ワタシは子供なので,最近気づいたです。

どういうことか?

例えば,英語の選択問題を解いているとしましょう。
20問中18問正解だった。--> やったー。--> おしまい。
・・・。
はい,そうです。意味なしです。ゼロとはいいませんが,主旨違うです。
20問中18問正解でも,その中から知らないこと,疑問に思うことを
見つけ出して,それらをその場で糧にしていく。
その場では無理なら,後に繋がるように,布石を打っておくことが重要。
例えば,理解できないことのもとになる知識を調べたり。


もちろん正解率が重要な場合というのもあります。
受験なり試験なり。
それでも,ま,大学受験などはその年に合格することが重要だから別としても,
試験も所詮,自分が理解していること・理解していないことの確認なんだと
思います。そして理解していないことに,重きを置くと。
重きを置くといっても,上述の通り,恥じたり劣等感を感じたり,
といった意味ではないです。



そう考えると,例えばTOEICスコア900を達成した人がよく言う,
「英語をこんなに知らないことがわかった」というセリフも,
理解できる気がします。つまり,知らないことの方に,
前向きに,重きを置いているんではないかと,思うわけです。

何が言いたいんじゃい!

勉強できるということは,幸せなことで,楽しいことなんだなぁと,
そこまで勉強していないワタシが,調子ぶっこいてたけど,
多くの人にとってはあたりまえなことなのかな。