良い本である可能性の高い本の選別方法・改

どうもりんこです。


以前似たようなエントリを書いた記憶があるのですが,改ということで。

  • 章の始めに,その章の構成が要約されて書かれている。
  • 章の最後に,その章のまとめが要約されている。
  • 章の最後に,確認事項,チェック問題など,その章で書かれていたことを想起できるような仕組みが用意されている。


これに当てはまり,かつ,その内容もすばらしく,日本語もわかりやすく書かれている本は,
結城浩さんの本しか思いつきません。
これは当方の読書量の少なさのせいかもしれませんが,
何冊読もうとも,すばらしい本に出会える割合は変わらないという仮定が
正しいとすると,すばらしい著者に出会える確率はかわらんのかも。


さらに結城さんについて言います。
具体的には,デザインパターンの本を読んだんですが,この人は
本を売ってお金をもらうということを真剣にとらえているんだろうなぁと,
ワタシは感じます。
「金をもらう イコール 信用をもらう」だとワタシは考えているので,
結城さんはその信用の重さを知っているように思われます。
さらに,言い方が悪いですが,本を売って読んでもらうと読者の時間を奪うということにもなるので,
その時間を極力有意義な時間にすることを考えて本を書いているのではないかとも感じます。
つまり,読む側の人間のことを真剣に考えて本をかいているなぁと感じます。


大学時代に読んだ数学書なんかで,ある定理の証明をみると,「自明」と
書かれていて,何回どついたろかと思ったことか。
もちろん当方が阿呆というのもあるのでしょう。
しかし,その「自明」は書いている人間から見てのものであり,
読んでいる人間から見たものではないと思います。
これについてはワタシの中にもいくつか異なった意見があるのですが,
初めて数学書を手にとって読んだ人に対して,「自明」を提示すると,
その人のやる気は萎えてしまい,
その人の好奇心を刈り取ってしまうのではないかと思うのです。
なぜなら,わかれば楽しい,わかるから楽しい,から。
自明というと,「こんなことわかっていて当たり前だよ。」,「こんなこと知っていて当たり前ですよ」,
「こんなこと知らないなんて阿呆なの?」,
「こんなのが理解できないのは頭がわるいんじゃね?向いてないよおまえ」
と言っているように感じてしまうのは,ワタシがひねくれているからでしょうか。


かといって,全部こと細かに説明していってはきりがないというのも事実だと思います。
読者にほどよい思考を要求してから解説するというのがいいかなぁと。
なので,陳腐な結論ですが,バランスが重要かと思うのです。
しかし,学習書,自習書に限定すれば,著者にとって自明だからといって,
自明とするのは,百害あって一利なしなのではないかと思うのです。
だって,本の評判が悪くなり売れなくなる。から。
これは自業自得だからいいとしても,学習者の学習しようとする意欲を
そいでしまうことになるから,というのが大きな問題。


ま,「ほどよい」とか「バランスが重要」というのは当たり前だし,
抽象的だし,さらには人によって変わってくるので難しいのはわかります。


最初に書いた条件については,読む側でどうとでもなりますが,
その方法などを知らなかったり,その発想自体がなかったりすると,
どにもならん。
また,それらの条件を満たすためには,著者に負担がかかるだけだと思います。
しかし,ここで読者のことを考えていれば,それらの,負担がかかるだけの作業を
読者のために行うと思うわけで。


換言すると,本を書いているときに何が著者の動悸になっているか? ということかなと。
ただ金を儲けたいだけなのか?
ブームに乗っているだけなのか?
読者にわかってもらって,向上してもらうことを望むのか?
何のモチベーションもなく,機械的にやっているだけなのか?
色々あると思います。さらに,どれでやっても金を儲けることにはつながります。
しかし,根底になにがあるか? というのが重要かと思うわけです。
そして,結城さんの本からは,読者のことを考えて書いている,ということが,
ワタシに伝わってきたので,こうした駄文を書いてみました。


余談かもしれませんが,洋書(訳書ではないです)には最初に書いた条件を満たす本の割合が,
多いように感じられます。ま,これは日本人が読むくらいの洋書は有名で名著であることが
多いからかもしれませんね。


余談:
読者のターゲットとか,本のジャンル,などなどあいまいなまま書いたので,
内容がぶれぶれですね。
というかささっと書いて結城さんにありがとうを言うだけのつもりだったけど,
ついついまた,偉くもないのに偉そうな立場からキーボードを打鍵してしまいました。
へへへ。